中央銀座通り (本町三丁目交差点〜あら町交差点)    
 

▲この居酒屋の場所には玩具屋「ほおづきや」があった。

 
 
 
▲マルハク書房あと。となりの自転車置き場では、映画館の格安チケットを売っていた。株券だったりしたけど、、、。  
   
 
▲東宝劇場跡。正面左、自動車の横あたりにチケット売り場があった。
この建物も現在は取り壊されてしまい、駐車場になってます。
 
   
 
▲一軒でも取り壊されてしまうと、古い商店街の隠れた側面があらわになる。  
   
 
▲新紺屋町の「イスズ模型」があったところ(中央左あたり)。高崎で鉄道模型(当時はHOが主流)はここだけだった。  

 

 
 

▲新紺屋町の通り。突き当たりはお堀。実は、私の実家は戦前までこのあたりにあった。現在の「空男バー」が出来る前。写真には「L5」看板が見える。

 
 
 
  ▲ゲームセンターが並ぶ中央銀座通り。子供達には「ちゅうぎん」と呼ばれている。正面がさやもーる。  
 
 
   
  ▲昭和40年代のにぎわいは夢のよう。でも、左手の八百屋さんはいつもたくさんの買い物客であふれている。  
 
■中央銀座通りは、高崎の「巣鴨」を目指すべきだと思う。とにかく、年輩のお客さんを集める事に絞る。郊外型店舗は、若い人向けばかりなので年輩者はつまらない。だから、グランドゴルフや老人会の集まりに出かけてしまう。しかし、実は彼らが重要な消費者であり、その意志もあるのです。商店街が明確な方向性を打ち出せば、お客さんは必ず戻ってきます。がんばれ中銀。「ぴんころダルマ」をここに造りましょう!!